久世祭りの歴史
郷の総氏神に郷内の氏神社の御神輿が参集して合同祭典を行う祭礼式は、古くから郷ごとに行われていました。
久世郷においては、元禄4年(1691年)、久世郷で、生建大明神(久世神社)・牛頭天王宮(朝日神社)・鍋屋八幡神社・山久世八幡神社・三十八社宮(三榮神社)の五社が合同祭典を行った旨の文献が残っています。
天保13年(1842年)、大雪のため山久世八幡神社が岐呂峠を越えることが出来ず、それからしばらくは四社でしたが、明治に入り廃藩置県による郷解体で郷での合同祭典がなくなるなか、大正10年(1921年)、惣八幡神社が久世祭りに加わり、再び五社として久世郷の合同祭典の形態「五社御祭礼」は伝統が継承されています。
明治時代の久世祭り
久世だんじりの歴史
久世だんじりの歴史探求
高度経済成長期の道路整備や自動車の普及に伴うだんじりへの影響を中心として、資料及び聞き取り調査に基づき、昭和期の懐かしい写真を掲載して久世だんじりの歴史を辿りました。
久世祭り歴史年表(概要)
年 | できごと |
---|---|
元禄4年 (1691) |
久世郷で、生建大明神(久世神社)・牛頭天王宮(朝日神社)・鍋屋八幡神社、山久世八幡神社・三十八社宮(三榮神社)の五社が合同祭典を行う。 |
元文元年 (1736) |
大雪のため山久世八幡神社が岐呂峠を越せず不参加、以降、四社御祭礼となる。 |
天保13年 (1842) |
津山藩郷中御条目中「壇尻久世弐ッ」出すことを許す旨の記載あり。 |
大正10年 (1921) |
惣八幡神社が加わり、五社御祭礼となる。 |
大正中期 | だんじりが馬車台に乗る。 |
昭和20年 (1945) |
東明社、榮朝社の二台のだんじりが出る。 |
昭和32年 (1957) |
商工会が仮装行列を行う。 |
昭和33・34年 (1958・1959) |
模範店会が奴行列を出す。 |
昭和36年 (1961) |
子供樽神輿五組が登場。 |
昭和52年 (1977) |
中町商店街がカラー舗装になったため、御祭礼のだんじり巡行コースを変更。 |
昭和58年 (1983) |
ふるさと列車来町。早川代官前で「だんじり喧嘩」を披露。 |
昭和63年 (1988) |
中央社と朝陽社が瀬戸大橋博に出演。 |
平成3年 (1991) |
「久世だんじり保存会」発足。西親社と朝陽社が真庭特産フェアに出演。 |
平成6年 (1994) |
上王社と東明社が岡山桃太郎祭りに出演。麗新社登場。 |
平成17年 (2005) |
久世だんじり振興会発足。10月NPO法人化。5月NHK・BS2チャンネル「おーいニッポン私の好きな岡山県」生中継に8社出演。だんじり御祭礼と、だんじり喧嘩(上王社対榮朝社)の模様が放映される。 |
平成18年 (2006) |
NPO法人久世だんじり振興会主催「久世だんじりふれあい祭り」に6社参加。 |
平成19年 (2007) |
RSK(山陽放送)の「ダイドードリンコ日本の祭り」で久世祭りが紹介される。 |
昭和20年「榮朝社」久世駅にて
昭和40年頃「朝陽社」
平成17年「おーいニッポン私の好きな岡山県」より「上王社」対「榮朝社」